• 現状の懸念「対立になってしまっている、対立になる不安がある」

生徒間の事故や嫌がらせ、いじめなどをきっかけに、担任の対応、学校の対応をめぐり、保護者と担任、保護者と学校、保護者と教育委員会という形で、対応への不満から対立になってしまっているケースが少なくないように感じます。
その背景には、担任などによる個人による初期の対応、学校などによる組織としての対応に課題があるように感じます。保護者も、担任も、学校も、“子どものこと”を第一に考えて行動している中で、不適切な一言や姿勢が、保護者の感情をこじらせ、悪化させ、協力関係を築けずに対立関係になってしまうのはとても残念なことに感じます。
また、トラブル対応に追われる担任の先生の苦労・心労も大きく感じます。
裁判になれば、お互いに相手の非を調べ伝えあうような、嫌な思いをすることになり、同じ学校に通うことが難しくなったり、地域生活が難しくなったりもすることが考えられ、できる限り避けることが望ましいと思います。
対立関係にならない“子どものために”協力関係を維持する関わり方、対応を心がけることが大事だと考えます。

 

  • 保護者の思い

自分の子どもが傷ついた、傷つけられた、失われてしまった場合、保護者は、子どもへ守ってあげられなかった申し訳ないという後悔や自責の感情、なにがあったのか、なにかできたことがあったのではないか、今からできることはないかという責任への感情が生まれることは自然と思います。
また、恐怖心などが芽生え、これまでできていたことができなくなってしまった場合、それを除去しようと取り組むのも保護者として自然な感情からくるものと思います。
誰がやったのかという他責にしたい気持ちも芽生えることもあるだろうし、感情面で興奮状態になっていたり、取り乱すようなこともあることが考えられます。
この感情を理解できているかというのはまず第一に大事だと思います。

 

  • 保護者の声

そんな中で、保護者からは例えば以下のような要求が出てくることが多いようです。
「相手の親に謝罪してほしい」「子どもの話し合いに相手の親も参加してほしい」「保護者会を実施してほしい」「調査を実施してほしい」「相手の子を登校させないでほしい」

ちょっと余談ですが「死にたい」「辞めたい」「別れたい」ような声を考えてみましょう。
「辞めたい」というのは、会社を辞めたいという場合、他の良い条件の務め先が見つかったということもあるし、出勤を続けるのをやめたいくらいしんどいことがあることが考えられます。
「別れたい」も、例えば夫婦での会話の中で出たとすれば、別の人と家族を築きたいという場合もあれば、夫婦関係を続けることを辞めたいくらいしんどいことがあることが考えられます。
「死にたい」に関しては、死んだ経験がある人はいないため、生きていることを辞めたいくらいしんどいことがあると理解することが自然だと考えます。

多くの場合、状況が苦しく、なんとか打開するために「死にたい」「辞めたい」「別れたい」という解決策を思いつき、言葉にしていることが多いと思います。“しんどいこと”はなんなのかも自分で理解できていないことも多いと思います。しんどいことが解消されれば、辞めたいわけでも別れたいわけでもないことに気づくことも多くあります。
苦しい状況の中、考えられない状況に陥り、唯一みつけた「辞める」「別れる」「死ぬ」という解決策を口にしている、拠り所にしているということもあります。
しんどいことに焦点が当たり、考えていくことができれば、辞める、別れる、死ぬ以外のしんどいことから離れる解決策はみつかることもあります。
言語化された「死にたい」「辞めたい」「別れたい」にとらわれることなく、背景にある「・・・くらいしんどいこと」を受け止め、一緒に考える関係性をつくることが周囲の人や支援者には、大切です。

本人は、頭に血が上ったり、感情的になって、言語化できていないこと、整理できていないことがあります。保護者の声を受け止める際、言葉通りの“要求”に関わるのではなく、背景にある“苦しさや希望”を言語化することを助け、一緒に取り組むことが大事です。

 

  • よくされる?対応

「それは難しいです」「相手の子にも学習権があるので」「わかりました。保護者会を実施します」「対象の生徒への聞き取りは実施しました。これ以上の調査は難しいです」
これらは、保護者の「・・・してほしい」に対して、できる・できない、する・しないの回答をしています。誠実に対応しているようにみえます。
これらは、「別れたい」という人に「わかりました。別れましょう」や「別れてほしくない」辞めたい人に「辞められたら困る」と言っているようなものでもあります。

相手にはどういうことが伝わったでしょうか。
相手の視点からみると、「自分の要求に対しての拒否・無回答」「自分の要求を受け取っていない」「要求は受け入れたが、理解はしているのか」のような応答であります。本当の問題に言及されず、そこへの理解もされず、あまり良い解決策ではない解決策に対して応対していることもあります。
何が不安なのか、何を希望しているのかを知り、理解したことを伝えることがまず第一で、解決策はその提案された解決策も一つとして扱いながら考えていくことが大切だと思います。
保護者も先生も学校も“子どものこと”を考えているのは一緒で、例えば、元気に登校してほしいという同じ希望を持っていることが多くあります。
その中で出てきている解決策の一つの要求だと考えるのが大切です。
そのプロセスの中で、保護者の思いや気持ちを、理解していることを伝えること、教員や学校も同じ気持ちであることを伝わること、一緒に取り組みたいと考えていることが伝わることが対立関係にならないために大切です。

 

  • 対立ではなく、協力の関係でいるために

そもそも学校と保護者は、共に、子どもの健全な成長を願う立場です。対立関係になることに良いことはなく、協力関係でいることが大切です。なにかトラブルが起きた時、“要求”の回答ではなく、不安への理解を伝え、“希望”を知ること。そして、変わらず共に取り組む姿勢を取り続けることが大切です。
要求に対しては、できなくても、難しいと思ってもいいのです。できない要望であること、難しい要望であることも保護者はわかっていること(後に気づくこと)も多いと思います。ただ、いまのところその解決策しか思いついていない状況なだけです。なので、その要求には関わらず、不安や希望に関わり、不安をどうすれば小さくできるか、希望にどれくらい近づけるかに、一緒に知恵を出す姿勢があれば、保護者も学校の事情を考えて一緒に考えてくれるはずです。

 

  • 具体的にはどんな応答をするのがよいか

では、具体的にどんな対応をすればよいのでしょうか。「適切な言葉に言い換える」と「詳しくきくこと」があります。
詳しく聞くことは、時として「そんなこともわからないのか!(気づかないのか、知らないのか、想像できないのか)」と怒りを助長してしまうこともあります。後述しますが、この場合、現場に関わりのない第3者であれば、自然に聞くことができることがあります。
「別れたい」と言っているパートナーに「なんで別れたいの?」と聞くことを想像すれば、理解できるかもしれません
適切な言葉に言い換えるというのは、簡単には、難しいかもしれません。
簡単にできることとしては、主語を私にすることで近づけるかもしれません。
要求は、常に、主語は「あなた」です。それを「私に」することで、要求が希望に代わっていきます。

「相手の親に謝罪してほしい」で考えましょう。
私を主語にすると、私の今感じている気持ちを相手にも知ってほしい、受け止めてほしい、なにか言葉をかけてほしい。となります。
例えばですが、「そうなんですね。この気持ちを相手の保護者にも知ってもらいたいということですか。」のように応じるのはどうでしょうか。
そうすると、「今、どんなお気持ちなんですか?」「どういう形で伝えられたらいいと思いますか?会ってがいいですか?手紙にしますか?」など聞いてみたいことが出てきます。
そうすると「そうであれば、こういう風にするのがどうでしょう?」と別の案が浮かんできたりします。そうすることで「それは無理です」「それは難しいです」ではない、一緒に取り組んでいく関係が維持できます。

「相手の子を登校させないでほしい」ということであれば、「その子がいると不安だったり、怖かったりするんですね、どんなことが不安ですか?」というようなことではじめるのはどうでしょうか。
要求にどう応じるか、ではなく、相手の希望を聞こうとすることでともに取り組む関係が維持できます。希望は、例えば“安心して子どもを通わせたい”など、合致できる可能性が多くあります。手段をどう選んでいくかは、その要求も選択肢としては理解しているという意識で一緒に考えて、時間をかけて取り組んでいく姿勢を維持していくことが大事と思います。

 

  • 第3者をいれる効果

第3者となりうる存在を入れることは、状況を打開できる可能性が生まれます。
当事者同士だと、同じ空間にいた、同じ経験をしたことにより「理解しているはずだ」という認識が生まれます。
ただ、同じ空間にいても同じ経験はできていないことが多く、知らないことの方が多くあります。また、感情については、言語化されない限り伝わりません。
「理解していてほしい」「理解しているはずだ」「理解しているべきだった」という当事者同士の関係では、今どう思っているのかなどの感情への質問、その時どうだったのかなどの事実への質問がしにくいことがあります。
夫婦喧嘩で怒っている相手に「なんで怒っているの?」と聞くと「そんなこともわからないから嫌なのよ!」というような展開になったりすることでわかると思います。

第3者であれば、良い意味で事情は知りません「何があったのか」「どんな気持ちだったのか」「どんな風にしたいか」など聞いていくことで、当事者もお互いに状況の理解が広がり、何が起きたのか、起きているのか、正しく理解できることがあります。

 

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